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鶴岡八幡宮(鎌倉市)

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写真: 鶴岡八幡宮(鎌倉市)

写真: 鶴岡八幡宮(鎌倉市) 写真: 鶴岡八幡宮(鎌倉市)

mixi記事コピペ――鶴岡八幡宮 ・八幡神/ (鎌倉市)
2010年10月03日 22:40

94年に初めて足を運んで以来、毎年行ってました。3回行った年も。
6年前までは………il||li (´;ω;`) il||li間違いなく…。
何回行ったか覚えていないし、行けなかった年もあったような、近年訪問の記憶もないような…。
鎌倉、八幡サマ、江ノ電、江の島、定番中の定番。されど飽きない。

そしてそして!! (やはり!)写真がないっ!w(°A°:) w
食事処とかちょー紹介したいけども!ゴメンナサイ!www
(あ。メシは江の島ばかりだな……)


11.06.20.
●鶴岡八幡宮――
宇佐神宮、石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮のひとつに数えられることも。
康平6(1063)年8月、河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目 源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を、鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まり。
永保元(1081)年2月、河内源氏3代目 源義家(八幡太郎義家)が修繕。
治承4(1180)年10月、平家打倒のため挙兵した河内源氏後裔 源頼朝が鎌倉に入り、宮を現在の地である小林郷北山に遷す。以後社殿を中心にして、幕府の中枢となる施設を整備していった。
建久2(1191)年、社殿の焼失を機に上宮と下宮(じょうぐう、げぐう)の体制とし、あらためて石清水八幡宮護国寺を勧請。
承元2(1208)年、神宮寺が創建される。

・ご神徳・縁起――
どこの神社についてもご神徳(ご利益(りやく)とは仏教語)があり、その内容は祀られている神にまつわる事績などの伝承によるものがほとんどで、八幡様についてもそのようないくつもの伝承によります。
まず、多くの武将たちが崇敬したことから分かる通り、武道の神としての信仰がある。
戦勝祈願、必勝祈願に訪れる人が数多。
一般的に多くいわれるのは厄除け。
武道の神は敵を退けるという考えが、敵だけでなく災いをも退けるという考えに発展。また御祭神の神宮皇后が初めて方位除けのご祈祷をしたという記述が残っており、それに由来するという説もある。
他には安産と子育てのご神徳もあります。上記の神宮皇后が子供を身籠っている時に戦へでかけ、途中で産気づいたのを我慢して圧勝したと伝えられているために生まれました。

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