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あの時の惨状

写真: あの時の惨状

写真: 煙が目に沁みて 写真: 思い出す辛さ

宮城県 あの3.11の志津川町の津波による惨状である。年月の経過とともに,徐々に記憶が風化していることに懸念を感じる。歴史は同じ災害を繰り返すという悲しい現実がある。明治29年の地震・大津波で2万人以上が犠牲となり,岩手県綾里には38.2メートルの津波が到来し,低い土地には家を建てないことを教訓にした。昭和8年の三陸津波では7メートルの津波で300人が犠牲になった。災害直後は,高台移転をしても,年月と共に低い土地に町が造られていく。(南三陸町)

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コメント (14)

  • GGG

    人は弱い。しかし、厳然と事実に向かい合う強さが欲しいです・・・。

    2014年3月8日 01:22 GGG (6)

  • SF Studio

    後世への記録の使命感

    尊敬いたします

    2014年3月8日 05:22 SF Studio (106)

  • インシグニス S

    昨日一昨日と、荒浜地区と閖上地区に行ってきました。
    瓦礫は取り除かれていましたので、このような直後の様子は全く知る由もなく、
    こういう写真の記録というのの大切さ、痛感いたします。

    2014年3月8日 11:09 インシグニス S (55)

  • sasisuseso

    過去の教訓を生かせなかったことが残念でなりません。

    今回の惨状の記録、是非後世に受け継いでもらいたいものです。

    2014年3月8日 12:36 sasisuseso (9)

  • 肥後の風太郎

    皆様のコメントと同じになってきます。

    2014年3月8日 13:22 肥後の風太郎 (76)

  • のゆゆ

    怖いですね・・

    2014年3月8日 13:48 のゆゆ (5)

  • ホッシー(多忙中につきランダムアップです)

    上の家と下の家の違いに津波の怖さを感じます。

    2014年3月8日 17:06 ホッシー(多忙中につきランダムアップです) (3)

  • NOBU

    教訓は生かされてないですね 後世に伝えるのも我々の仕事ですかね。

    2014年3月8日 18:29 NOBU (13)

  • さらっ子

    昭和8年の津波では復興に30年近くかかったそうです。

    2014年3月8日 18:29 さらっ子 (6)

  • なり

    東日本大震災発生時,千年に一度の大災害と報道されていましたが,明治時代・昭和にも大津波が押し寄せていたのですね。一般の人はともかく,行政や土木・建築・都市造り・教育・電力関係者等は,しっかり教訓を学び対応すべきですね。

    2014年3月8日 20:05 なり (1)

  • hanahana(冬眠中)

    高台には ちゃんと家が立っていますね 
    住宅を建てるところを考えて 災害に備えることはできますよね

    2014年3月8日 20:37 hanahana(冬眠中) (2)

  • aochan

    プレートとプレートの接する境にある日本列島〜
    予想される東海地震、東南海地震だけではなく
    誰もが予想できないことを知る必要もありますね。

    2014年3月9日 14:38 aochan (0)

  • あやの

    もう3年も経つのに復興は何処まで進んでいるのでしょうか?
    オリンピックも大切だけどその為に人材、資材不足で復興が
    遅れることを心配しています。

    2014年3月9日 15:48 あやの (27)

  • miko

    そうなんですか?

    やはり高台は坂とかが面倒で低い土地に移ってしまうのでしょうね。

    もうこんな悲しい思いはしたくないですね。

    2014年3月9日 22:07 miko (19)

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